自由と責任と選択への疲弊感から解放されたような錯覚かもしれないもの

自由と責任はセットなので、

大きな責任を覚悟できる人ほど、より自由になれるものだと私は考えていますが

 

自分に降りかかる責任が、取らねばならないものとしてかなり枝分かれしていて、それが先の方まで見えてしまうと

そのせいで雁字搦めになって(がんじがらめってこういう漢字だったんだね)

 

どう動いたらいいかわからない

まさに、もがいている状態が長く続いたのだけど

足掻く気力も失いかけていたけれど

 

 

少し光が見えたかなという感じで。

 

 

なにが、というのはまだ言えない

実行できないと、それも責任として絡みついてくるから

 

 

でも、迷いまくっていたところから

この方法なら進めそうだ

という希望が見えてきたので

 

心持ちが少し自由になったかもしれない。

 

 

 

どれをやっても結果が同じだとしたら

つまり、どれをやってもそれで生きていけるとしたら、どれをやりたいですか?って

今日仲間に問いかけられて

 

それなら、作曲家になって

映画やオーケストラ、何か大きな音楽を作る人になって

わたしのライブだからと、それをあえてギター一本にアレンジして衆目に晒すような

ギターを母語に持つ作曲家、独奏家でありたい。


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