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『Medios Mixtos』という失敗作

我が模索の歴史、今また超えていく

本来のギタリストとして

2023年9月、自身にとって初となる完全ソロギターアルバム『Medios Mixtos』を発表した。 このアルバムにまつわるストーリーは、遡ることおよそ7年半、ある友人の勧めで『非奏』を制作した夜に始まる。
あれは本当に無茶ぶりであった。4月はじめのある日に、シンガーソングライターである友人のつてで、花見の席で演奏する機会を得たのだ。 その前日の夜、―その日は同友人と共に別のライブに出演して、いつも打ち上げをするカラオケバーで酒盛りをしていた― 友人が言うのだ。 「本来のギタリストに戻ったお前が見たい。明日インストやれよ。」と。

もともと私はバンドでエレキギターを弾いていたのだが、人生最高と思えたバンドが結成わずか3ヶ月で解散となり、 当時Steve Vaiのようなギターヒーローに憧れていた青年は、すぐさまソロ活動に転向した。バンドをしたいとはもう思わなかった。
そして、当時山手駅前にあったAngels Clubというライブハウスのマスター武田さんから、「一人で活動するなら歌わなきゃもったいない」と諭されたことで、アコースティックギターに持ち替えて歌を書くようになったのだ。

しかし、アコギを持ったところで人は突然歌えるものではない。あまりに下手なところからスタートして、武田さんを師匠と仰いで歌を習うところからはじまり、このころ既に数年が経っていた。

無茶ぶりから始まったインスト曲制作

時は2016年、とても悩んでいた。―この悩みは膨らんでいき、その後2019年に音楽活動を終了するまで抱え続けたのだが― 自分が何者でどこへ向かっているのか、シンガーソングライターという活動の中に納得のいく答えが見つからなかったのだ。

話を冒頭のカラオケバーに戻す。悩みを友人に打ち明けたのだ。いったい自分はどこへ向かっているのかと。 それに対する友人の返答が「本来のギタリストに戻ったお前が見たい。明日インストやれよ。」というものだった。
その夜、真夜中の公園で、翌日のライブに向けて一気に作ったのが『非奏』『Sakura』そして当時は『雨乞い』と呼んでいた『Rain Dance』の三曲である。

それから数か月のうちに『Highway』を作曲したのだが、歌うことに関するあらゆる実験と数々の出会いの中で、インスト曲はライブでの見せ場の一つにしかならず、悩みながらもシンガーソングライターとしての活動を継続していくのであった。

挫折体験

2019年、膨らみきった悩みの中、ライブをすることはもはや苦しみでしかなかった。
面白いギターを弾く奴がいる。そう認めてくれる人はたくさんいたが、本人からすれば、それはまさに空っぽだった。派手な奏法に、巨大なエフェクターボード。その場を盛り上げ、目を引く力はあっても、そこに中身はなかった。
歌はだいぶマシになったのだが、とうとう歌詞に書いて伝えたいメッセージというようなものを見つけられなかったのだ。お客なんて一人も呼べなかったのは、そのためだろう。
力ずくでその場を沸かせることはできても、誰かの人生に刺さるような心は持ち合わせていなかったのだ。

それがわかってきたことで、悩み解決の方策が自身の中にはないことを悟ったため挫折。活動を終了。

転機を求めて

ギターを片付けて、しばらくどうでも良い日常生活を送った。
それでも音楽のことばかり考えている自分を思い知るまで、およそ一年かかった。

再スタートは完全インスト。言葉にしたいメッセージがないのだから、もはや歌う必要はない。
ギターだけで作ると決めて、そこからおよそ3年かけて完成させたのが『Medios Mixtos』というアルバムになる。

失敗作としての『Medios Mixtos』

はっきり言って、失敗作だ。
我がウェブサイトに『創作持論』という大げさなエッセイを掲載しているが、このアルバムの中でそこに書いた理想はまったく体現されていない。
派手で目立つ奏法を使って、ありったけの音を詰め込んだが、技術ばかりをこれ見よがしに並べ立てる結果となり、そのうえ心に残るようなメロディもなければ、明確に統一された世界観を持つでもなく、相変わらず伝えたいメッセージというものが無い。

この期に及んで未だこのような中身のない作品を作っていることに恥すら覚える。

時間ばかりを費やしてやり遂げたことと言えば、24歳のガキがやりたかった『ギター一本でバンドと戦い、それを倒す』という痛い対抗心の証明。 それを30過ぎた私が肩代わりし、あとから得た知見でもって、その初期衝動すらも希釈してかき集めた方向性の定まらない曲たち、それらを纏めて無理やりアルバムと称した。それだけのことでしかない。

アルバムタイトルである『Medios Mixtos』とはスペイン語で『ミクストメディア』という現代美術における技法の名前であり、あらゆる素材や媒体を用いること、またはそうやって出来上がる作品のことを指す。
それに対して、単に特定ジャンルへの興味や知識がなく、自分の中に流れている音を再現するためだけに、あらゆる演奏技術からテクニックだけを盗んできた。
これではただのツギハギであり、一つのアートとして完成されたものを感じない。
本当にその分野の芸術に打ち込んでいる人たちに対してはあまりに失礼なタイトルだ。

アルバムコンセプトの根底から間違いだらけなのだが、それぞれの楽曲に言及すれば気にくわないところがさらに山ほどある。
だが、言い出したらキリがないので不満を言うのはここまでとする。

模索の歴史から得たもの

欠陥だらけのアルバムだが、同時に誇らしくもある。

『非奏-mixture slam-』や『Highway』にはロックバンドへの未練と対抗心が香る。アコギ一本でもバンドと戦えることの証明は、この2曲で充分だった。
『Sakura』はあの花見の日から、より情緒的に進化して今の形に至る。
『Rain Dance』はその名を『雨乞い』『雨乞いのワルツ』『Rain Dance』と変更するたびにスケールを拡大していき、今最も新しいアプローチである『Meditation』の要素さえ内包している。

その次に作った『Rafting on the Mysterious River』は、それまでの楽曲に無かったメロディ感を意識し、フラメンコの要素を盗んで、果てしなく加速することを目指した。
『白鯨』はもともとエレキギターで作ったインスト曲だったが、アコギでそのスケールを再現しようと模索してこの形になった。
『Alone』では、同時に複数のメロディを動かす手法を探った。作りこむうちに孤独の肯定と孤高への昇華を目指して大きく変化していった。
『Leaves Blowing in the Wind』は重たく胸やけのするこのアルバムの中で、休憩となる場所を作りたかった。結果ポップでありながら技術的にはもっとも複雑な曲の一つとなった。
『Winter Morning』もまた、アルバムのバランス上休憩のために入れた曲であるが、最もソロギターらしく落ち着いたアプローチに仕上がって満足度が高い。

そして、アルバム4曲目『I'm Still on the Way』は、武田師匠に宛てた曲である。

あの頃、バンドを失っても体型維持のために続けていたランニング、たまたま通りかかったライブハウス。ゴミ出しのために店前に出てきた武田師匠が一言「君、ミュージシャンだろ、寄ってきなよ」あの優しいしゃがれ声を今でもはっきりと覚えている。
Angels Clubは武田師匠が亡くなった時に閉店してしまったが、あの不思議な出会い、あの時背中を押してくれていなければ、その後ソロに転じて戦う日々も無かっただろう。

『Medios Mixtos』はこの7年半という期間、積み重ねた模索の歴史である。
あの頃抱えた悩みは去った。ここには、確かに自分の中に聴いた音だけが並ぶ。

ギター一本でここまでやれるという確信は、自分がなんのために音楽をやっているかを証明するに値する。
そして、そういう作品であるから、失敗作であることもまた当然なのだ。
ここまでの模索の中で、あの創作持論に書いたような理想を探っていったのだから。

粗削りだが、そのことがわかる程度には進化し、新たな理想を眼前に捉えることが出来るのは、二度とこのアルバムと同じものは作らないという意志あってのものである。
その意志を失った時、理想の追求は終わり、進化を止めるのだ。

次回作でこのアルバムを反証し、そうすることでさらに前へと進む。

これを成功と捉えて、次も同じようなものを作ろう。
そんな怠け者にはなってはいけない。

── 中井崇睦